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東京高等裁判所 昭和53年(う)1441号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

第一本件控訴の趣意について

本件控訴の趣意は、弁護人内田雅敏、同飯野信昭が連名で差し出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官親崎定雄提出の答弁書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、これらを引用し、これに対して当裁判所は、次のとおり判断する。

一控訴趣意第二章(訴訟手続の法令違反の主張)について〈省略〉

二控訴趣意第三章(事実誤認及び法令適用の誤りの主張)について

所論は、要するに原判決は、その(罪となるべき事実)の項において、被告人らが共謀のうえ、昭和五一年六月二八日午前八時三〇分ころから五五分ころまでの間に、丸金証券一階正面にある同社の出入口扉硝子二枚、壁面硝子六枚、掲示箱用窓硝子一枚にビラ一三種類合計一二一枚を密接集中させて貼り付け、よつて、前記硝子九枚の美観、採光、見通し、宣伝等の効用を著しく減損し、もつて、数名共同して器物を損壊した旨認定判示し、罰条として暴力行為等処罰に関する法律一条、刑法二六一条、六〇条等を掲げ、更に(弁護人らの主張に対する判断)の項の二において、判示硝子九枚を含む一階正面硝子が建造物の一部かかは、その客体の、建造物との関係における効用の問題もさることながら、物理的にみて、建造物に固着されこれと同一化し、器物としての独立性を失つているか否かの問題であり、判示扉硝子二枚については、床上のステンレス板は十字ビスで床上に取り付けられているだけであり、これを外し、右ステンレス板を床上より解放し、扉硝子を持ち上げれば、扉硝子やステンレス板はもとより、床や鉄製横さんをも何ら毀損することなく、扉硝子を取り外すことが可能であり、また判示壁面硝子六枚についても、内側から右壁面硝子を押えているアルミサッシがやはり十字ビスで止められているだけであり、右ビスを外せば、壁面硝子及びアルミサッシを毀損することなく、壁面硝子を取り外すことが可能であり、さらに、掲示箱にはめこまれている掲示箱用窓硝子一枚についても、掲示箱自体十字ビスでアルミサッシに取り付けられているだけであるので、十字ビスを外すことにより、アルミサッシや掲示箱、掲示箱用窓硝子を毀損することなく、掲示箱そのものを取り出すことが可能であると認められ、判示硝子は、建造物と物理的に同一体化しておらず、器物としての独立性を失つていないものと認めるのが相当である、などと説示しているが、客体が建造物の一部であるか器物であるかは、その客体の構造、形態、機能、経済的価値および毀損しないで取り外すことの難易度、取り外しに要する技術等を総合検討して決定せらるべきであり、右の基準からすると、本件各硝子は建造物の一部であると認められ、本件壁面硝子六枚、掲示箱用窓硝子一枚は建造物である社屋の一階の牆壁として用いられ社屋の本質的な構成部分をなしており、ビスを外さなければ取り外すことができないから、一般の窓硝子等とは本質的に異つていて、これらを取り外すことは、容易ではなく、素人では無理で専門家の手によらなければならず、実際には、破損した場合を除き取り外すことはあり得ない、これらを取り外すためには、これらを固定し安定させるなど極めて重要な役割をしているパテを破壊しなければならず、出入口扉二枚については、外側から向つて左側の扉硝子は、壁面硝子等と同様に固定されており、また、右側の扉硝子は、牆壁の一部としての役割をも担つており、これを取り外すにはネジを外すなどの作業を必要とし、右作業は容易ではなく、素人ではなし得ないから、簡単に取り外すことができる通常の戸等とは同列に論じ得ない、本件壁面硝子六枚、掲示箱用窓硝子一枚、出入口扉硝子二枚は器物ではなく、建造物である社屋の一部であると認められ、これらを器物と認定判示した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認、法令適用の誤りがあり、破棄を免れない、というのである。

よつて案ずるに、器物毀棄罪等において、客体が器物であるか建造物の一部であるかは、それを毀損しないで取り外すことができるか否かのほか、右の取り外しの難易、客体の磯能、構造等をも総合して検討するのが相当である。

右の見地に立つて、本件についてみるに、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  本件の丸金証券株式会社の社屋は、地下一階、地上六階の鉄筋コンクリート造りの建造物であつて、その南東側の正面間口は約7.51メートルあり、その北東端には幅約0.74メートル、奥行約0.74メートルの、南西端には幅約0.69メートル、奥行約0.75メートルの各コンクリート柱が立てられ、通常の二階分の高さがある一階正面は、床と一階ひさしのほぼ中間に横さん(アルミの化粧板が取り付けてある)一本が渡され、床から一階ひさしに伸びるサッシ柱(アルミの化粧板が取り付けてある)七本が約0.70メートルないし約1.45メートルの間隔を置いて立てられていること、一階正面の右の横さんより上には透明の壁面硝子六枚が右の横さん、サッシ柱等により「はめ殺し」にされていること、他方右の横さんより下(床まで約2.1メートル)には、本件の透明の壁面硝子六枚(厚さ約1.10センチメートルで、最も大きなもので横約0.74メートル、縦約二メートル、最も小さいもので横約1.45メートル、縦約0.35メートル)が周囲の横さん、サッシ柱等により「はめ殺し」にされているほか、本件の透明の出入口扉硝子一対(厚さ約1.10センチメートルで、本扉硝子は横約1.10メートル、縦約2.10メートル、補助扉硝子は横約0.45メートル、縦約2.10メートル)が取り付けられ、サッシ柱間には本件掲示箱一個(横約1.45メートル、縦約0.82メートル、奥行約0.135メートル)が床上約0.96メートルの高さにはめ込まれ、その前面に本件の透明の掲示箱用窓硝子一枚がはめ込まれていること、右の横さん、サッシ柱等の枠自体を社屋から取り外すためには、その周囲のコンクリート壁等の社屋本体部分をはつりし、右枠と鉄筋のアンカーの熔接部分を露出し、これを切断する作業をしなければならず、しかも右作業のためには、事前に本件壁面硝子を破損するなどして取り外かなければならないこと、

2  本件壁面硝子六枚は、周囲の横さん、サッシ柱等にパテによつて接着、固定されて「はめ殺し」にされており、破損した場合を除き取り外すことは殆んど予定されていないこと、本件壁面硝子自体や周囲の横さん、サッシ柱、社屋本体等を毀損しないで、本件壁面硝子を取り外すことは技術的に不可能ではなく、壁面硝子の下方のさんを止めているビスを外してさんを外し、パテを「パテ剥し」と称する器具で取り除いた後、壁面硝子吸盤を付けてこれを慎重に取り外すなどの作業をすることによつて、これを行なうことができること(なお、内側からサッシ柱に取り付けられている十字ビスは、サッシ柱表面のアルミ化粧板を固定させるだけのものであつて、右ビスを外しただけでは枠から本件壁面硝子を取り外すことができない)、しかしながら、右の取り外し作業は、周囲の枠等、就中傷つき易い枠化粧板を傷つけないように、慎重に重量のある本件壁面硝子を移動し、取り外さなければならないことなどから、難しい作業であつて、素人だけではできないばかりでなく、パテを外すのに手間がかかり、使用されているパテの量、固さ等によつても左右されるが、一枚を取り外すのに、専門業者が二人がかりで前記のような種類の工具あるいは器具を使つて行なつても、六時間くらいかかることもあること、そのため、本件のように破損していない壁面硝子について、仮に入れ替える必要が生じたとしても、入れ替えに要する時間、費用(手間賃)等を勘案すれば、むしろ、「はめ殺し」にされている壁面硝子を破損して手早くこれを取り除き、新たな壁面硝子を取り付ける方が経済的であること、

3  次に、本件出入口扉硝子一対は、テンパライトドアーと称するものであつて、本扉は内外に開くようになつており、硝子の本体にステンレス製の上下フレームが取り付けられ、その回転軸の先が上部の横さんに取り付けられたトップピポットと床に埋め込まれているフロアーヒンジにさし込まれており、本扉硝子は、トップピポットのネジを調整するなどして取り外すことができるが、硝子本体が一平方メートル当り三〇キログラムの重量があって、衝撃により比較的割れ易くて、その取り扱いに慎重を要し、フロアーヒンジ内の油圧調整装置の操作にも熟練を要することから、右の取り外し作業は難かしくて、素人だけではできず、その入れ替えには、専門業者を含む四名で作業しても一時間くらい要すること、また補助扉硝子は、その上下と横片側がサッシ柱等によつて固定されており、その取り外しには壁面硝子の場合とほぼ同様の作業を要すること、

4  次に、本件掲示箱は、社屋の建築された当初から設置されていたものであつて、左右六個宛の十字ビスと数か所の熔接によつてサッシ柱のステンレスカバーに固定されており、したがつて、本件掲示箱自体をサッシ柱から取り外すためには右ビスを外したうえ、熔接部分をも切断しなければならないこと、前面の掲示箱用窓硝子は爪とシーリング剤によつて掲示箱に固定されており、したがつて、これを掲示箱から取り外すには、爪をおこし、シーリング剤をナイフなどで削り取つたうえ、硝子吸盤などを用いて慎重に取り外さなければならないこと、本件掲示箱は社屋内側の観音開き戸から直接掲示物を掲示するようになつていて、掲示箱の内側に牆壁はないこと、

右認定の事実関係によれば、本件壁面硝子六枚は、社屋の内外を遮断し、防雨、防風、防音、防犯等の牆壁としての機能を有しているのみならず、「はめ殺し」にされているため、破損した場合を除き、取り外すことは殆んど予定されておらず、壁面硝子自体や周囲の横さん、サッシ柱、社屋の本体等を毀損しないで、壁面硝子を取り外すことは技術的に不可能ではないが、右の取り外しは前示のとおり難しい作業であつて素人だけではできず、一枚を取り外すのに、専門業者二名が行つても六時間くらいかかることもあり、そのため、仮に破損していない壁面硝子を入れ替える必要が生じても、入れ替えに要する時間等を勘案すれば、むしろ、これを破損して手早く取り除き、新たな壁面硝子を取り付ける方が経済的なくらいであるから、以上を総合すると、本件壁面硝子六枚は器物ではなく、建造物である社屋の一部をなしているものと認めるのが相当である。次に、出入口扉硝子一対のうち、本扉硝子は、社屋の内外を区分し、その外囲の一部をなしているのみならず、その取り外しは前示のとおり難しい作業であつて、素人だけではできず、その入れ替えには専門業者を含む四名で作業しても一時間くらい要するのであるから、これも器物ではなく、社屋の一部をなしているものと認めるのが相当である。また、補助扉硝子については、その上下と横片側がサッシ柱等によつて固定されており、その機能、取り外しの難易等については、壁面硝子について説示したところがほぼあてはまるから、これも器物ではなく、社屋の一部をなしているものと認めるのが相当である。次に、本件掲示箱用窓硝子一枚がはめ込まれている掲示箱は、その構造上、社屋の内外を遮断し、防雨、防風、防音、防犯等の牆壁としての機能も併有していることは明らかであり、これをサッシ柱から取り外すためにはビス一二個を外したうえ、数か所の熔接部分をも切断しなければならないのであるから、これ自体も器物ではなく、社屋の一部をなしているものと認めるのが相当であり、そして、その前面にはめ込まれた掲示箱用窓硝子も掲示箱に爪とシーリング剤によつて固定され、これを取り外すためには爪をおこし、シーリング剤をナイフ等で削り取つたうえ、硝子吸盤などを用いて慎重に取り外さなければならないのであるから、右窓硝子そのものも掲示箱の一部であつて一体となつており、ひいては社屋の一部をなすものと認めるのが相当である。

以上のとおりであつて、本件壁面硝子六枚、出入口扉硝子二枚、掲示箱用窓硝子一枚は、いずれも器物ではなく建造物である社屋の一部をなしているから、本件壁面硝子六枚については、内側からこれを押えているアルミサッシが十字ビスで止められており、このビスを外せば、壁面硝子及びアルミサッシを毀損することなく、壁面硝子を取り外すことが可能であり、また扉硝子二枚は、床上のステンレス板が十宇ビスで取り付けられているだけであり、これを外し、右ステンレス板を床上より解放し、扉硝子を持ち上げれば、床や鉄製横さんをも何ら毀損することもなく、扉硝子を取り外すことが可能であり、更に掲示箱用窓硝子一枚についても、十字ビスを外すことにより、アルミサッシや掲示箱、掲示箱用窓硝子を毀損することなく、掲示箱そのものを取り出すことが可能であるとして、本件壁面硝子等をいずれも独立性を失つていない器物にあたると認定し、被告人の所為につき暴力行為等処罰に関する法律一条等を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認、ひいては法令適用の誤りがある。したがつて、弁護人らのその余の控訴趣意について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い被告事件につき、以下のとおり、更に判決する。

第二当審において追加された予備的訴因(建造物損壊)について

一検察官が予備的に追加した訴因の公訴事実は、

「被告人は、神保隆見ほか二名と共謀の上、昭和五一年六月二八日午前八時三〇分ころから午前八時五五分ころまでの間、東京都中央区日本橋蠣殻町一丁目七番九号丸金証券株式会社正面玄関付近において、同社代表取締役司茂隆男管理にかかる同社建物一階営業部南側の出入口硝子扉及び硝子壁、掲示用ウインドーの全面、両壁面、柱に『組合ニュース』『団交に応じろ』『丸金経営の暴力ガードマン導入に抗議の声を』などとわら半紙に黒インクで印刷したビラ合計一三四枚を密接集中させて糊で貼りつけ、著しく同建物の、外観を汚損するとともに採光、見透しを阻害し、もつて建造物を損壊したものである。」

というものであり、罪名・罰条は、建造物損壊・刑法二六〇条、六〇条に当る、というのである。

二関係証拠によれば、被告人は、丸金証券株式会社の従業員の一部が所属する丸金証券労働組合の組合員として、かねてから就労闘争を行つていたが、同じ組合員である神保佳寿子とともに、右闘争のために昭和五一年六月二八日午前八時三〇分ころから午前八時五五分ころまでの間、公訴事実記載の丸金証券株式会社一階正面前において、同社代表取締役司茂隆男管理にかかる同社建物一階正面の出入口硝子扉、硝子壁、掲示箱用窓硝子の外側及びコンクリート柱に、手にはめた軍手の糊を塗りつけて、「組合ニュース」「団交に応じろ」「丸金経営の暴力ガードマン導入に抗議の声を」などとわら半紙に黒インクで印刷したビラ一三種類合計一三四枚を貼り付けたことが認められる。

そこで、被告人の本件ビラ貼り行為が刑法二六〇条にいう建造物の損壊に該当するか否かについて検討するに、同条にいう建造物の損壊とは、当該建造物の本来の効用の全部又は一部を失わせる一切の行為をいうのであつて、建造物の形状を物理的に損傷する場合に右の損壊に該当するばかりでなく、物理的に損傷しなくても、ビラを硝子張りの建造物の硝子等に貼るなどして、その美観、見透し、採光等の効用を減損する場合にも、右の損壊に該当することがあり得るものと解するのが相当である。そして、ビラ貼りによる建造物の美観、見透し、採光等の減損についてみると、建造物の右のような効用の存否ないし程度は当該建造物の用途、機能と密接に関連するところであつて、軽犯罪法一条三三号の規定とも比較対照して考えると、当該建造物の用途、機能、ビラ貼り行為の内容、態様その他諸般の事情に照らして、物理的に減損させたのと同様に評価すべき程に著しく減損した場合には刑法二六〇条にいう損壊に該当するが、減損の程度が部分的で範囲が局限されているなど著しくはなく、一時的であつて、比較的容易に原状を回復することができる場合には、右の損壊に該当しないものと解するのが相当である。

右の見地に立つて本件についてみるに、関係証拠によれば、次のような事実が認められる。

1  丸金証券株式会社における建物全般の使用状況につき、同社は、証券の委託売買等を業とする会社であつて、前判示のような造りの本件建物(所有名義は宏徳不動産)のうち、一階を営業室、二階を経理室、三階を社長室、五階を休憩室、六階を総務室、株式室として使用し(四階も関連会社である丸金商事が使用している)、いわば建物全体を社屋として使用していること、本件建物は、東京証券取引所の東方約二五〇メートルに位置し、間口7.51メートルの正面は大通りに面していること、しかしながら、丸金証券においては、営業部員らの顧客に対する勧誘、接渉、商談等は電話をしたり顧客宅等に出向くことによりなされるのが普通であつて、顧客がみずから来店することはそれほど多くはなく、まして、いわゆる「とび込み」の来客は少なかつたこと、

2  右丸金証券株式会社における一階営業室の機能につき、同一階の正面側の造りは前判示のとおりであつて、横さんの上はすべて透明の硝子壁かならり、その下は透明の硝子壁、硝子扉及び前面に透明の窓硝子がはめ込まれた掲示箱からなり、右掲示箱の中には本件のビラ貼りがなされた時も含め顧客勧誘のポスターが掲示されていたこと、そのため、表通りから営業室内や掲示箱内のポスターを見透せるようになつていたこと(ただし、同室内に掲示されていた相場表の内容については、表通りからは、適当な地点でよほど注視しないと識別することができなかつた)、しかしながら、営業室内の明るさは、天井に取り付けられた螢光燈の照明だけによつて確保されるように設計され、現に日中においても営業時間中はこれが点燈され、本件のビラ貼りがなされた時もこれが点燈されており、透明の硝子壁、硝子扉からの自然光の採光もなされてはいたが、それは補助的なものであり、室内正面側のカーテンが引かれることもあつたこと、

3  本件ビラ貼りによる阻害状況につき、ビラが貼られたのは、一階正面の横さんから下の外側部分であつて、両端のコンクリート柱に計一三枚、硝子壁に計七四枚、硝子扉に計三五枚、掲示箱用窓硝子に一二枚の合計一三四枚が貼られ、特に硝子壁、硝子扉、掲示箱用窓硝子からなる横約6.08ートル、縦約二メートルの硝子面には右の一二一枚のビラが密接集中して貼られて、その殆んどをおおつていたこと(ただし、右ビラのうち二三枚くらいは、その全部又は一部分が正面外側に置かれていたつげの植込みに隠れて、表通りから見ることができない状態であつた)、右の一三四枚のビラは、透光性の比較的低い、わら半紙製の一枚大又は縦半截大のものであつて、「丸金労組組合ニュース第46号」「団交に応じろ」「丸金経営の暴力ガードマン導入に抗議の声を」などと労使紛争を窺わせる文言を黒インクで印刷した一三種類であつたこと、右のビラのうち七枚くらいは一部破損し、また九枚くらいはやや斜めなどに貼られていたが、その他のビラはほぼ整然と貼られていたこと、本件ビラ貼りに用いられた糊は、澱粉糊に接着剤であるボンドを混合したものであつたこと、横さんから下の硝子面はビラが貼られていない部分も殆んど糊が塗られ、垂れた糊が硝子扉の下枠に付着していたこと、その結果、表通りからの営業室内に対する見透しや掲示箱内に掲示されていた顧客勧誘のポスターに対する見透しは、ビラが貼られている部分はもちろん、貼られていない部分を通してもかなり困難となり、また右各部分を通しての自然光の採光も若干阻害されたこと(〈証拠省略〉)、

4  原状回復の状況につき、丸金証券社員二名が当日午後一時五三分ころから約五五分かけてホースの水をかけたり、金属性のへらで剥ぐなどして本件ビラ等をすべて取り除き、原状が回復されたが、水をかけただけで剥がれたビラが半数くらいあつたこと(〈証拠省略〉)、

右認定の事実関係によつて考えると、丸金証券株式会社は、証券の委託売買等を業とする会社であつて、その一階(営業室)の正面のコンクリート柱の間は、いわば「総硝子張り」の造りとなつていて、透明硝子の美観に着目し、これを発揮させることによつて会社の社会的信用ないし好印象を保持することのほかに、表通りから営業室を見透すことができるようにし、客に開放感、親近感を与えて室内への立入りを勧めるという客寄せの効果を狙い、同時に、表通りから掲示箱内に掲示されたポスターを見透せるようにし、あわせて自然光を室内に採り入れることなども配慮していると見られるところ、被告人らは、軍手にボンド混入の澱粉湖をつけて、一階正面の横さんから下のコンクリート柱を含む外側部分にこれを塗り付けたうえ、合計一三四枚のビラを貼つたものであつて、特に透明の硝子壁、硝子扉、掲示箱用窓硝子からなる横約6.08メートル、縦約二メートルの硝子面には合計一二一枚のビラを密接集中して貼り、その殆んどをおおつてしまい、硝子面のビラの貼られなかつた部分にも糊が塗られ、垂れた糊が硝子扉の下枠に付着しており、そのため表通りから営業室内に対する見透しや掲示箱内に掲示されていた顧客勧誘のポスターに対する見透しもかなり困難となり、同室内における自然光の採光も若干阻害されたものであつて、被告人らの本件ビラ貼りによつて社屋の美観、見透し、採光の効用が全く減損されなかつたものとは言えない。しかしながら、右の社屋の美観、見透し、採光の効用並びに原状回復等について、更に考えてみると、

(イ) もともと、丸金証券のような証券会社において、社屋の美観を発揮して会社の社会的信用ないし好印象を保持したり、社屋を開放的な感じにして客寄せをしたり、顧客勧誘のポスターで宣伝したりするのは、それなりの効用があるとしても、かなり間接的、抽象的な方途であつて、例えば、一般通例の商店において、店頭の好印象を保持するために工夫したり、宣伝したり、店内やショーウィンドー内に商品の現物を陳列する場合などとは自ら異つている。現に、丸金証券においては、実際には、営業部員らの顧客に対する勧誘、接渉、商談等は電話をしたり顧客宅等に出向くことによりなされるのが普通であつて、顧客がみずから来店することはそれほど多くはなく、まして、いわゆる「とび込み」の来客は少かつたのであつて、顧客の獲得は、主として社員らの具体的な営業活動とそれを通じて培われた会社や社員等の信用等によつて進められているのである。そして、本件ビラ自体についていえば、前記のとおり労使紛争を窺わせる文言を黒インクで印刷したものであつて、特に不体裁にわたるものではなく、これが一部を除けば、比較的整然と貼られ、証券会社において必要とされる社屋の美観を際立つて阻害したものであるとは認められない。

(ロ) 営業室における自然光の採光についてみると、もともと、一階営業室内の明るさは、天井に取り付けられた螢光燈の照明だけによつて確保されるように設計され、現に日中においても営業時間中はこれが点燈され、本件のビラ貼りがなされた時もこれが点燈されていたものである。硝子面からの自然光の採光もなされてはいたが、それは補助的なものであり、室内正面側のカーテンが引かれることもあり、しかも、ビラの全く貼られていない横さんの上の硝子壁からの採光は、本件建物の一階営業室正面側の硝子壁、出入口硝子扉等になされた本件ビラ貼りによつてなんら妨げられなかつたのである。

(ハ) 更に、本件ビラが貼られた部分は、地上六階、地下一階の社屋のうち、一階正面(ほぼ二階分の高さがある)の下半分(そのうち硝子面は横約6.08メートル、縦約二メートル)の比較的狭い範囲に局限されており、したがつてそれと同時に貼付された本件ビラの枚数は、一三四枚であつて必ずしも大量のものでないことも無視することができない。

(ニ) その結果社員二人が約五五分間ホースの水をかけたり、金属性のヘラで剥ぐなどして本件ビラ等をすべて取り除き、原状を回復したのである。

以上を合わせて考慮すると、被告人らの本件ビラ貼り行為によつて本件建造物の美観、見透し、採光等の効用が減損されはしたが、その程度は著しくはなく、一時的であつて、比較的容易に原状を回復することができたのである(それが軽犯罪法に触れるかどうかは別論である。)から、被告人らの本件ビラ貼り行為は建造物の損壊には該当するものとは認められない(なお、検察官自身昭和五四年一〇月二三日付弁論要旨において「そのビラ貼りの程度から建造物損壊と評価できない本件においては、」としている。)。

以上のとおりであつて、結局建造物損壊の予備的訴因についても犯罪の証明がないことに帰する。

第三軽犯罪法一条三三号について

本件においては、暴力行為等処罰に関する法律違反(共同器物毀棄)の主位的訴因及び建造物損壊の予備的訴因について犯罪の証明がないとしても、更に、右各訴因につき訴因変更の手続を経ないで、軽犯罪法一条三三号の罪の成否について判断を進めることも一応考えられる。しかしながら、本件訴訟の経過をみると、昭和五五年二月五日の当審第八回公判期日において、裁判長が検察官に対し、「当審事実取調べの結果に徴して、検察官においては、本件訴因(罰条)につき、予備的に建造物損壊(刑法二六〇条)または軽犯罪法違反(同法一条所定の相当号)としての訴因(罰条)の追加請求をする意思があるかどうかを承りたい。」と刑事訴訟規則二〇八条に基づく明示の発問をし、その措置を促したのに対し、検察官は、「本件訴因(罰条)につき、右に謂われる訴因(罰条)を予備的に追加請求するか、どうかについては、今後なお検討し、然るべき場合には早急にその手続に及びたいから本日はこの程度で続行されたい。」と述べ、その結果同月一五日付「訴因・罰条の予備的追加請求書」をもつて、本件の建造物損壊の予備的訴因を追加請求した(同月一九日の第九回公判期日において右請求が許可された)が、裁判長の右発問にもかかわらず、軽犯罪法一条三三号の罪については訴因の予備的追加請求をしていないし、これを審判の対象として求める意思をも特に表示しておらず、右のような本件訴訟の経過に照らすと、検察官は軽犯罪法一条三三号の罪については審判を求めない意思を明示しているものと解するほかないから、右の罪に関する判断はしないこととする。

第四結語

以上の次第で、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪を言渡すこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(向井哲次郎 山木寛 村田達生)

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